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Sep 20
“「電子マネー日常的に利用」首都圏では3割 4年で倍増 2010年9月20日19時50分 印刷 ブログに利用する  電子マネーを日常的に使っている人が首都圏や関西圏では3割に上ることが、博報堂生活総合研究所の調査でわかった。4年間で倍以上増えた。1年以内にインターネットで買い物をした人も4割近くいた。支払いが素早い電子マネーや、商品を比較して購入できるネットショッピングが着実に広がっている。  調査は2年に1回で、今年は5月に首都圏と関西圏の20~69歳の男女3389人から回答があった  日常的に電子マネーを使っている人は、2006年調査では12.1%だったが、10年は30.0%に増えた。コンビニエンスストアや駅など多くの場所で使えるようになり、小銭を使わずにすむ便利さが評価された。  ネットでショッピングを1年以内にした人は、00年調査では5.0%だったが、10年は38.3%に急増。テレビや雑誌などの通信販売(35.9%)を初めて上回った。同研究所は「自宅にいながら簡単に買い物ができる新しい消費スタイルが定着しつつある」とみている。(多田敏男)” asahi.com(朝日新聞社):「電子マネー日常的に利用」首都圏では3割 4年で倍増 - ビジネス・経済

Jul 25
“いま盛んに行われている引用付き返信(リ:ツイート)による会話は、上記3つのいずれでもなく、まったく別のコミュニケーションのあり方が実は暗に求められていて、その機能が欠けているがゆえに、非公式RTで代用されているのではないか” 「リツイート」は「Re: Tweet」じゃない - night and sundial

May 7
“不定型な仕事というのはけっこう創造性を刺激するというか、表現衝動を満たすものが多かった。” リストラなう!その26 俳優の仕事、映写技師の仕事 - たぬきちの「リストラなう」日記

May 4
“電子書籍、ipad云々言う前に、紙で作られてきた書物や雑誌の歴史の厚みを知らないとダメなんじゃないか” 翻訳作業終了 /  mikakobayashi.com

Feb 5
“「140字書いている暇があったら、本分に即して、ちゃんと論文を書いたらどうなんだ(指導教員に挨拶くらいしろよ)」とつぶやき返したいつぶやきもある。” つぶやき - Blog (Before- & Afterimages)

Feb 1
“「自戒を込めて」っていいかげん法律で禁止してもええと思うが。” sociologbook

Jan 28

11時10分からは、小沢健二のSkypeセッション「アートという罠:アートではなく」。

この講演は、「会場のみなさんとの関係を大切にし、集中したいという、小沢さんからのご意向をうけ、企画側の判断としてネット中継をおこなわない」ことになっており、司会者の方も、録音・録画のみならず、TwitterやUstなどによる中継も控えてくださいと、再三お願いしていました。

できるだけコンテクストを限定し、狭い範囲での濃密なコミュニケーション体験を重視して真意が誤解、曲解されることを恐れて立ちすくむより、様々なメディアを、多様に横断、駆使して、誤配に誤配を重ねながら、思いもかけなかった、何かとんでもない出来事、怪物との遭遇に可能性に賭けてみる方が、より実り多く効果的ではないか、などと私は思うのですが、小沢さんはメディアを極めて禁欲的、慎重に選んでいる印象を抱きました。

私の席の前後には、アップルのiPhoneを持っている男性がいて、時折怪しい動きをしていたのですが、彼らは約束を守ったでしょうか。さすがにスカイプ中は控えていたようですが。

エクアドルにいる小沢さんとスカイプでなかなか接続できなかったようで、それまで上田假奈代さんが、小沢さんを釜ヶ崎に案内した思い出などを語ってくださりました。

そして、ようやく小沢さんとのスカイプ接続に成功。いよいよ待ちに待った講演が始まりました。

以下の記述は、記憶によるもので、あいまいな点が多々ありますし、小沢さんの言葉ではなく、私が自分なりに解釈、要約して書いている部分もあるので、誤解や間違っている部分があるかもしれないことを念頭にお読みください。

小沢さんは、これから自分の語ることは誰か特定の人を攻撃するものではないので誤解しないでほしいと何度も断った上で、「アートという罠:アートではなく」という講演を開始されました。

小沢さんが取り上げたのは、「なぜイギリスの行政は貧しい地区でのアート振興にお金を出すのか、彼らは何を狙ってアートを援助したのか。」という問題です。

行政的にはその答えは明瞭で、

第一に、ローカル経済を活性化させるためであり、

第二に、職を作るためであり、

第三に、セルフ・エスティームを高くするためであり、

第四に、(精神的に)人を健康にするためであり、

第五に、個人に競争力をつけさせるためであり、

第六に、再犯を防止するため

なのですが、小沢さんはこういったアート政策が、実は新自由主義、ネオリベラリズムの息のかかったプログラムそのものであると指摘されました。

ネオリベラリズムとは、簡単にいうと、人びとを激烈な競争に巻き込んで、優勝劣敗、弱肉強食のジャングルの法則を貫徹し、社会を一部の大金持ちと、残りの貧乏人に分断し、様々な格差が拡大することをもって良しとするような主義・主張です。

勝ち組の新自由主義者たちは、アートを媒介にして、貧しい人たちが暴動を起こさないよう社会の中に取り込もうとします。こっち側に入れてあげるよ、といった彼らの傲慢さは、ソーシャル・インクルージョンとでも言えば、何かカッコよく今風に響くから不思議です。

なぜ、ソーシャル・インクルージョンをネオ・リベラリストたちには必要とするのでしょうか。端的に言えばそれは、暴動を抑え、革命を阻止するためです。そんなこと「野蛮」なことを、夢にも思わない人間を作り出すためです。

今回の小沢さんの講演は、2007年に社会臨床雑誌という学術誌に発表された「企業的な社会、セラピー的な社会」を補うものであるため、この論文を読んでいないと、なぜそんなことが言えるのか、よく理解できないかもしれません。そこで、簡単にではありますが、この論文で主張されていることを少しだけ紹介したいと思います。

なぜ、セルフ・エスティームを高くすることが革命を阻止するのでしょうか。

セルフ・エスティームは、実現したことを、期待、見込みで割ることで算出されます。もっと簡単にいうと、現実を分子、希望を分母にした値がセルフ・エスティームです。

セルフ・エスティームを上げるためには、分子の現実を大きくするか、分母の希望を小さくするしかありません。ネオ・リベラリストが、セルフ・エスティームを高めるとことが必要だという言うとき、それは人々が希望をなるべく持たないようにすること、諦めた気持ちで暮らすことを求めているのです。

「企業的な社会、セラピー的な社会」で小沢さんは、セラピストの前で自らを語ることは、実は「灰色」=システムが用意した一定のヒエラルキーの下に、「あるべき自分」を位置づけて、希望を失っていくプロセスなのだと批判していました。

小沢さんは今回の講演で、同じことがイギリスのコミュニティアートにも起きているといいます。

セラピストが皆、気持ち悪いくらい落ち着いた低い声で、その患者たちをシステム内に柔らかく取り込むように、コミュニティアートも、誰にでも受け入れられるような、丸っこく優しくゆるーいアートを媒介にして、貧しい人達が「暴発」しないよう、その力、希望をソフトに去勢して、システム内に取り込んでいる、と批判しているのです。

イギリスではソーシャル・インクルージョンを目的にすると企画書に書けば、補助金が比較的容易に降りるということもあって、この言葉が大氾濫しているそうです。

そして、実際に許可して一年で700億円もの金を分配している男は、アートのことなど何も分からない小役人で、アートを通じて、貧乏人の心に野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオ・リベラリストたちが好む欲望を植えつけることをアート政策の目標にしているのです。

小沢さんは、こうしたイギリスの取り組みが「コピペ」されて実施されたのが、大阪ではないか。世界と地域はつながっているのだと主張されます。

The Economistとかいったネオリベの雑誌を好んで読み、「アーツとビジネスの融合した創造性豊かな都市をめざす「創造都市戦略」を掲げた」(ウィキペディアから)關淳一第17代大阪市長を名指しで批判している最中で、なぜかスカイプの音声が乱れ、もう時間ですからと急かされて、最後は駆け足気味の話になって終了。

小沢さんは1時間の講演を予定していたようで、話を止められた後、両手を頭に組んで仰け反っていた姿から、もう少し語りたいことがあったように見えましたが、私の気のせいでしょうか。

それにしても、これほど過激な、これほど尖りまくった講演は聞いたことがありません。

下手すると、企画の趣旨を全てぶち壊すような、シンポジウム関係者を激怒させ、二度とお呼びにかからないようなリスクをあえて冒して、小沢健二さんは自らが信じることを堂々と語ったのです。資料を持つ手は微かに震えていたとしても。

「アートの力を信じる」というシンポジウムで、「アートという罠:アートではなく」という、まるでちゃぶ台をひっくり返すような講演をやる蛮勇さ。なんという毅然さ、なんという美しさだろう。私はただただ感動していました。

小沢さんは、どこにも帰属せず利害関係を超越した場所から、誰も反論しようがないお行儀のよい正論をぶつだけのイデアリストではありませんでした。

アートしている人たちの苦労を理解した上で、行政からのお金であっても貰えるものならば、貰っていたほうが良いとはっきり言われました。

しかし、彼らの意思、権力作用を十分理解しながらも、それを逆手にとって、何か思いも掛けないあらぬ方向に投げ返してやること、突拍子もない事件を呼び起こすこと、例えば、親のカネを使って自由に遊ぶ頭のいい不良少年、内から食い破るエイリアンのように振る舞うこと、

これは私の解釈ですが、そんな但書きを小沢さんは付けたかったのではないかと推測しました。

「OCA!大阪コミュニ ティアートアートの力を信じる」に参加しての感想 - 松本竜也の日記 (via nakano)

Nov 1
“気象庁は、「注意喚起の効果が薄くなるから」という理由から、実際は温帯低気圧に変わっても、情報を出すときは台風のまま、という意図的な“誤情報”を流していた” 天気予報は誰のもの? 気象庁VS.ウェザーニューズ バトルの行く末 (2/2) - ITmedia News

Oct 9

otouta:

特集:楽譜のない音楽団~音遊びの会~(朝日放送NEWSゆう+ 10/6 O.A)

Aug 25
“円本時代の「文学全集」から、70年代後半の角川商法(映像とのタイアップ)を経て、現在のネット宣伝にいたるまで、大衆社会では「文学と宣伝」には密接な関係があるどころか、両者は不可分なわけだし、消費社会を肯定しつつ文学を語る人はたくさんいるわけだから、真正面に「マーケティング」という観点から「文学という制度」を論じたり研究したりする人がいてもいいと思う。紅野謙介の『書物の近代—メディアの文学史』asin:4480085270や、栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史—市場・メディア・著作権』と同じ新曜社から出ている紅野の『投機としての文学—活字・懸賞・メディア』asin:4788508400の流れで、『宣伝の文学史』なんていう本を書ける人がいたら、ぜひ読んでみたい。文芸誌そのものを「売る」ためのヒントだって、そこから見つかるかもしれない。” 2009-08-25 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

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